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 「ある心療内科医からの手紙」は、「広小路クリニック(静岡県三島市)」院長の木野 紀(きの おさむ)先生が、「発信21」に寄せて下さったものです。
 皆様のお問い合わせもあり、平成13年(2001年)より平成15年(2003年)2月までのものを、まとめて掲載致します。
広小路クリニックホームページアドレス
http://homepage3.nifty.com/hiro-clinic/
 広小路クリニックは、むさしの学園教育相談部門「しき教育クリニック」の提携医療機関です。

ある心療内科医からの手紙
木 野   紀 (きの おさむ)  
ある心療内科医からの手紙(1)

朝起きられず不登校に 起立生調節傷害

 M先生こんにちは。「起立性調節障害」という病気を知っていますか。朝起きて、立ち上がろうとすると血圧が大幅に下がってしまい、脳へ血液が循環しないため、頭がポーとしたり、意欲が湧かなかったりする病気です。その結果、子供の場合には登校できなくなり、不登校になります。小児科でよく診断される病気です。朝起きられず不登校になる例は他にもたくさんあります。今日の手紙に書くのもその一つです。クリニックで私が経験したケースで、朝起きられない原因が脳の睡眠覚醒リズムの障害にあったという中学2年のR子のお話です。 彼女は1年の3学期からほとんど学校へ行っていません。目が覚めるのが午後2時か3時なのです。登校時間は熟睡していて、母親が何回起こしても目が覚めません。12時間位睡眠を取らないと機嫌がわるいのです。脳波検査で発作性の異常波が見られましたので、「君は登校拒否ではない。脳の機能的な病気だ。朝からカーテンを全開して陽の光を十分に寝室に取り込みなさい。毎日、睡眠表を付けてくるように」と指示しました。また、ビタミンB12を通常の倍の量を処方しました。1ケ月半位すると効果が出てきました。お母さんの報告によると「朝9時位までに起床して朝食を取るようになった。目が覚めると直ぐ身仕度を始め、遅刻しても登校するようになった。夏休み中、部活のブラスバンドの練習に夢中になり、部活の日には朝8時に起床するようのなった」とのことでした。家族の求めに応じ、私は学校へ診断書を提出しました。病名は(睡眠相遅延症候群)です。 ヒトの生物時計の周期は25時間であるのに、私たちは24時間で日常生活を送らなければなりません。それが可能なのは生物時計のリズムを外界の周期に同調させる仕組みが脳の中にあるからです。朝の強い光が生物時計を早めること、ビタミンB12が生物時計の光への感受性を高めることが知られるようになったので、この症例でも治療に応用してみたのです。
 R子は高校進学が決まった後、中学生活の思い出に描いたという「一本の実のなる木」という題の絵を私に見せにきました。その絵には、元気いっぱいの未来に大きな希望を託すかのように<豊かな実>がたくさん成っている大樹が描かれていました。高校進学後に成績表を持ってきましたが、彼女はクラスで2番の成績でした。
 M先生、「昼夜逆転」している不登校の子供の中に、このような子供がいませんか。
 では、またお便りします。
ある心療内科医からの手紙(2)

義憤で書いた診断書

 M先生、最近学校へ提出する診断書を求められ、辛い気持ちに陥った話を聞いて下さい。
 16歳の高校1年の女の子が母親と一緒にクリニックに来ました。「出席日数が足りないのでこのままでは来年4月に進級できない、と学校に言われた。本人は進級したいので、3学期から真面目に授業に出ます、と学校の先生に言うと、それなら登校してもよいという診断書を持ってくるように学校の先生に言われた」というのです。会社員が長期に病欠すると復職の際に診断書を要求されることは少なくありませんが、不登校の学生の再登校の診断書を書かされるのは初めてでした。
 この女生徒は「自己臭」といって授業中ガスが出てしまうと思い込み、教室へ行かれないのでクリニックで軽い安定剤を処方しながらカウンセリングをしていた患者で、それほど重症ではないのです。病院に通院していたのだから授業日数の不足は診断書でカバーしてあげたい、登校したいという意欲を褒めてあげたいというのが、教育者なのではないのでしょうか。私は憤慨し、診断書に「治療上、登校が望ましい」と皮肉をこめて書きました。
 文部省が全国の学校にスクールカウンセラーを配置し始めたことはM先生もご存じでしよう。静岡県の県立高校には生徒相談室が生徒指導部とは独立して十数年前からあります。養護教論の先生たちは必要に迫られてカウンセリングの勉強を長年続けています。私の講演を昔聞いたという養教の先生が生徒を紹介してきたので、私が薬を処方して、カウンセリングはその先生に今まで通り続けてもらったケースもあります。
 不登校や高校中退が増え続けている日本の現状は、現場の教師の責任ではなく、もっと根の深い社会現象だと思いますが、直接かかわることの出来るのは親と教師なのです。もう少し子供たちに愛情を注いで下さいと言ったら、M先生は笑いますか。
 昨年の暮れに「校長がかわれば学校が変わる」というTVドラマを題名に惹かれ1時間半も見てしまいました。「底辺校」と呼ばれた都立高を再建した校長の記録をもとにしているので事実の重みがあり、ドラマとはいえ少し救われた気持ちがしました。
 日々、生身の生徒達に接しているM先生の「彩のくに」ではどうなっているのでしょうか。
 では、またお便りします。
ある心療内科医からの手紙(3)

子供の育て方、親の役割


 「子育てにマニュアルはない」というのが私の持論ですが、私と飲み友達である山田さんの家での子育ての実例を通して、「子供の育て方、親の役割」について書いてみたいと思います。今、子育て真っ最中の親御さんが私の文章から子育てのヒントを取り出していただけたら幸いです。

山田家の子育ての要点
(1)登校渋滞に直面し担任の先生に相談をする時のコツ。
(2)保健室の先生は心の専門家。
(3)親子で二人旅のすすめ。
(4〉親子で入浴のすすめ。
(5)中学からは父親が学校へ。
(6)職業アイデンティティーを早期に確立せよ。
(7)母親の精神衛生を良くするのは父親の役割
(8)我が子の気持ちを聞き出すには問い詰めではなく沈黙が必要。
などでした。
 この他に、山田さんが私と飲むと必ず自慢げに言う山田家の子育て方法が2つありますが、それをご紹介します。

寝床で子供に落語
 ひとつは、子供たちの幼児期に、山田さんが大して上手ではない落語を寝床の中で聞かせていたことです。 「長屋の花見」という古典落語です。いつも同じ話なので、すっかり覚えてしまっているはずなのに、子供たちは「落語をやって、やって」とせがんだということです。これは、読書の習慣をつけるために、絵本や童話を読んで上げるのと同じ意義があると思います。お父さんやお母さんの肉声が子供たちの心を育むのではないでしょうか。

親離れ・子離れを早めに
 もうひとつは、娘さんたちの大学入学を期に家を離れさせ、彼女たちに一人生活をさせたことです。山田さんの住んでいる所から、新幹線を使えば東京の大学や専門学校ヘ通学は可能なのです。
 私の周りでは、それが経済的に安く済むからと言う理由で、新幹線通学を選択する親御さんが普通ですが、「親離れ・子離れ」の絶好のチャンスを逃しているのではないかと、いつも残念に思っています。バス・トイレ。キッチン付きのマンションより、四畳半一間の安アパートで親から自主独立の生活を手に入れようという若者は今や、探しても居ないのでしょうか。M先生、あなたも私も東京から北海道という果てしなく遠い所だから、<親離れの通過儀式>を容易に済ませられたとは思いませんか。
 少子化時代の子育ては、本当に難しいもんですね。
 M先生、あなたのお陰で「彩のくに」が私にも身近に感じられるようになりました。
これからもお便り続けます。
ある心療内科医からの手紙(4)

更年期障害(その1)


 M先生、年の瀬にふじのくにまで温泉に入りに来て下さりありがとう。年が改まり、今年は「更年期障害」を取り上げてみます。48歳の中華料理店の女主人が9月19日に来院しました。症状は、眠れない、肩こり、頭痛、いらいら、微熱など。自分ではストレスが原因と思い<心療内科>のクリニックを訪ねたという。8月に熱海の父親を亡くしたこと、子供会の役員をしていること、年老いた舅・姑をかかえて忙しいお店の切り盛りもしなければならないことなどを挙げた。睡眠時間は毎日4時間くらいだともいう。私はまず「一人でがんばり過ぎですね。7、8時間は睡眠をとるように出来ませんか」と聞いた。症状として更に、顔が火照る、カーと首から上だけ玉のような汗をかくという。これは更年期障害に特有な「血管運動神経」という自律神経の失調症状なのです。生理も最近不順になったというので、女性ホルモンを定量してみることにした。私のクリニックでは、エストラジオールという卵胞ホルモンとFSHという卵胞刺激ホルモンを測定します。微熱が続いているので、血沈・CRP・白血球数を一緒に調べるため、5ccほど採血しました。セデイールという眠気や習慣性のない安定剤を投与して、1週間後に結果を聞きに来てもらいました。頭痛や肩こりは良くなっていません。エストラデイオールは4.0以下つまりほとんど分泌されていない。FSHは47.2mg単位とやや高値を示し卵巣の機能低下が証明されたので、エストラダームTTSという皮膚に貼るエストラデイオールを処方しました。このホルモン剤はお腹や腰に貼るとゆっくり毛細血管から吸収されるので、効率的でかつ安全性も高いのです。2日に1回貼り替えます。女性ホルモンを使うと子宮ガンになると言われた時期があり、たかが(?)更年期のためにガンになったのでは大変だとホルモン補充療法が敬遠されたこともありました。しかし最近では、少ない量を使うこと、黄体ホルモンを併用すること、年に1回の婦人科検診を受けることにより全くその心配はなくなりました。それどころか、卵胞ホルモンは動脈硬化を防ぎ、コレステロールを下げ、骨粗鬆症を予防する、更にごく最近痴呆症を予防する可能性があるという報告が出ました。
 さて、ホルモン剤を使い始めて1ヶ月後、3日間の生理も戻り、症状がすべて消えてしまったというのです。そこで念のためホルモンを定量してみました。エストラデイオールは163.6といっきに増えていました。これと反比例してFSHは9.1と減っていました。更に1ヶ月後、症状のない状態が続いており、「ストレスは相変わらずだけど平気です」と初診の時とは全く違う明るい顔で話されました。
 「更年期障害」は眠れない、意欲がない、気分が落ち込み、何をやるのもおっくうになる、うつ病そっくりの症状や、肩こり腰痛など整形外科の病気に似ていたり、自律神経失調症と言われたりしていませんか?
 M先生、50歳前後の女性なら誰でも通過する状態ですが、血液検査で診断して、ホルモン補充療法で治療できるのですから、心の病と考えず、体の病気と考えて我慢をする必要は全くないことを伝えてあげて下さい。
 またお便りいたします。
ある心療内科医からの手紙(5)

更年期障害(その2)


 M先生、先月とは別の「更年期障害」の患者さんのお話をしましょう。
 54歳のY子さんが,両手の指先がしびれて夜も眠れないほどつらいと言って来院、パン屋さんで働いているので手をよく使うからでしょうかと言う。しびれている指は小指が含まれていないことから、私は簡単な診察で「手根管症候群」と診断しました。この症候群は更年期の女性に多い末梢神経の病気です。大抵はビタミン剤の内服で改善するのですが、Y子さんは手の平の筋肉が萎縮して指の力が落ち始めていましたので、整形外科へ紹介して手術をしてもらいました。更年期かどうかを知るために、いつ閉経したかを聞くと、4ヵ月前に子宮筋腫で子宮と卵巣を摘出するまで生理があったと言う。そこで女性ホルモンが現在分泌されているのかどうかを確かめるために、採血しました。前回お話したエストラジオールとFSHです。結果はそれぞれ4.0以下、33.0で、更年期に入っていることがわかりました。手術が終わってからホルモン補充療法をすすめたところ、貼り薬を希望したので処方しました。ところが皮膚がかゆくなったので、内服薬に切り替えました。補充療法は手根管症候群の予防や治療になりますが、すでに1年続けて、Y子さんは「肌がしっとりした」と思わぬ効果を教えてくれました。
 同じ54歳のH子さんは「3歳と4ヵ月の孫二人と一緒に暮らしているが、子供の声にイライラする。寝付きが悪く夢を見る。疲れやすい。肩がこる。トイレが近い。」などの体の症状と「気分が憂うつ。記憶力が低下。くよくよ心配ばかり。人中に出たくない。」などの精神症状を訴えてクリニックヘ来ました。48歳で閉経したのにいまだに顔がかあっとなりドッと汗が流れる、更年期障害特有の症状があると言う。以前婦人科で補充療法を数ケ月受けたが生理が戻ってきたので、恐くなって止めてしまったとも言う。そこで私から補充憲法の意義と副作用について、また生理が復活することは、子宮ガンの予防になることをもう一度詳しく説明しました。プレマリン0.625λ2週間の内服で、身体症状も精神症状も嘘のように軽くなったと言います。1年以上続けています。
 ホルモン補充療法を嫌がる中年女性の言い分は「自然に反する」ことを挙げますが、私の考えは少し違います。ほんの50年前まで人生50年だったから、閉経と同時に人生も終了していたのですが、今はそれから平均30年の余生があるのです。寿命が短期間で一気に延びたため、内分泌システムの進化が追いついていかないのです。「自然の方が遅れているのですから医学の力を借りるのは道理だ」と私は考えます。
 M先生、またお便りいたします。
ある心療内科医からの手紙(6)

更年期障害(その3)

 M先生、お元気ですか。更年期障害の例を2回続けましたが、今日はホルモン補充療法をやっても症状が改善しなかった例をお話します。50歳の主婦E子さんは不眠を訴えて昨年8月クリニックへ来ました。入眠しても1時間くらいで目が覚めてしまい、毎日熟睡した感じがしないので、このままではどうにかなってしまうと思い、通院している産婦人科の紹介で来たのです。
 家族は会社員の夫と21歳で神奈川県の大学へ新幹線通学している息子と3人。生理が昨年から不順のため、自分で更年期と思い、E産婦人科を受診、今年の3月からホルモン補充療法(HRT)としてプレマリン(卵胞ホルモン)1錠を服用している。クリニック初診時の症状は寝付きが悪く、眠ってもすぐ目が覚める、朝早く目が覚めて熟睡感がない。疲れやすく、食欲が落ちた、心臓もドキドキする、頭の皮や背中がピリピリする。口が渇き、目が疲れ、めまいも起きる。それほど深刻ではないが、憂うつで集中力が落ち、いつも不安で、くよくよ心配ばかりしている。こうした身体症状と精神症状は「うつ状態」とまとめることが出来ます。
 「うつ状態」に陥ったのは、独身の弟(48歳)が脳腫瘍で手術することになったのが心因であることが分かりました。元々の性格が、気が小さく、取り越し苦労をするタイプで、結婚前に過換気症候群を起したことがあるといいますから、神経症になりやすい性格であったことが分かります。ちょうど更年期とぶつかり、情緒不安定が加速されたのでしょう。前の2回の例では、いくらストレスがあっても、HRTだけで症状が治りましたがEさんはすでに十分な女性ホルモンを投与されているのに、症状が続いていました。
 11月にホルモンを定量してみました。エストラジオールは73.8pg/mlで、FSHは0.3mIU/mlでしたから、生理は無くても必要最小限の女性ホルモンが補充されていることが証明されました。
 Eさんは産婦人科からHRTを受けながら、クリニックから抗うつ剤のドグマチール50mg2錠と睡眠誘導剤を処方されていました。2週間後には食欲が出てきて、睡眠もだいぶ取れるようになりました。1ヶ月後には6時間もまとめて眠れるようになったと喜んでくれました。2ヶ月後に食欲が元に戻ったので、ドグマチールを自分の判断で中止してみたら、調子が悪くなり、また眠れなくなったということでした。その間に弟の手術が済み、毎日看病に通うので過労気味であるにもかかわらず、服薬を再開したらまた元気になりました。初診から半年経った現在、弟の再入院があり、薬は手放せないと言ってます。
 M先生、女性の更年期障害の4例を3回にわたって聞いてもらいましたが、今回の「反応性うつ病」の例のように、HRTだけではうまくいかないこともあるということを分かって頂けたと思います。
 では、またお便りいたします。
ある心療内科医からの手紙(7)

更年期障害(その4)

 今回は更年期障害シリーズの第4弾です。更年期障害と症状が似ているため、甲状腺機能亢進症を見落としやすいという話です。
 T子さんは50歳の主婦です。近くの内科医院から入眠剤を処方してもらっていましたが、眠りが浅いのでもっと効く薬はないかと、4月14日に訪ねて来ました。昨年8月、乳ガンとなった母親の看病のため実家へ帰った時から、不眠が始まったそうです。5月11日、カーと汗をかき動悸がする、昨年8月閉経したというので、女性ホルモンを測定してみました。エストラジオール42.0pg/ml、FSH88.4mIU/mlと低値であるが、補充療法(HRT)をするほどではないと、結果を伝えると、本人が「私は甲状腺ではないでしょうか」と突然聞くのです。思わず症状をもう一度聞き直しました。疲れやすい・汗をかく・動悸がする・脈が速い・やせたというではないですか。162cm/57kgですから、やせては見えないが、20歳ころは80kgあったそうです。そうか、あと微熱と手のふるえがあれば、甲状腺機能亢進症(バゼドー病)そのものではないかと考え、甲状腺ホルモンを定量してみました。
 結果はT子さんの言う通りでした。TSH 0.03μIU/ml、T3 3.91ng/ml、T416.8μg/dlと明らかに正常値を超えており、機能亢進症であることが証明されました。しかも、TR-Abが24.6%と高いので、ホルモンの過剰生産が原因と判断、メルカゾールというホルモンの生産を押さえる薬を処方しました。これで全ての症状が無くなるはずですが、T子さんの不眠症は治らず、未だに入眠剤を必要としています。でも疲れやすいのが無くなり良かったと言っています。その反面、体重が5kgも増えたと悩んでいます。
 T子さんはホルモン過剰でしたが、逆に甲状腺ホルモンが低下する病気もあります。それは橋本病といい、中年女性の20人に1人はいるというほど多い病気です。どちらも、疑って血液検査をしなければ診断の付かない病気です。
 最近になってT子さんに「どうして甲状腺と思ったのか」と聞いてみました。なんと、クリニックの待合室で隣り合ったバゼドー病の女性とお互いの症状について話をしていたら、その人の症状が自分とそっくりなので、思い切って先生に聞いてみたのだということでした。患者さんに教えられたとは言え、初診から2ヶ月以内に診断できたのがせめてもの幸いでした。いつでも患者さんの言うことは真剣に聞くべきであると、教えられたケースでした。私のクリニックでは、東京女子医大からホルモン専門医が月1回来て専門外来を持っているので、T子さんはそちらでも診て貰っています。
 M先生、クリニックがお世話になっているその専門医の○○先生は志木市在住なのですから、世間は狭いものですね。では、またお便りいたします。
ある心療内科医からの手紙(8)

円形脱毛症

 M先生、今日は皮膚料領域の心身症である「円形脱毛症」についてお話します。この病気の原因としては、寄生虫説、病巣感染説、内分泌障害説、神経原説などの仮説がたてられてきましたが、いずれも十分な説明にはなっていません。昔から心配すると禿げるといわれ、何らかの精神的打撃を受けた後に円形脱毛症になったということは、よく経験されます。当院のデーターペ−スで検索したら、26人の脱毛症患者がおりました。円形と全頭型と2通りありました。症例は33歳の妻子ある男性。家族歴があり叔母と母が円形脱毛症。高卒後2回転職。性格は温厚.真面目・優柔不断で保母をしている妻に劣等感をもっている。初診時は大きな円形の脱毛のため帽子をかぶってきた。カウンセラーによる面接と自律訓練法を開始。9カ月でほぼ治癒。2年後再発、皮膚科通院と平行してカウンセラーによる面接と自律訓練法を再開。娘の何気ない「お父さんは単なる運転手なの」のひと言に、自分の仕事や人生に懐疑的になり、アイデンティティ確立の問題がカウンセリングの中心テーマになる。ここまで来るのに面接は17回、2年半かかる。そしてさらに1年半かかり治癒した。キーワードは「夢を持て」といわれたことに心が反応したことだと、手記に書いている。息子に剣道上達のコツを伝授出来たことが自信になったとも書いている。自分の生き方を見付けたとき脱毛症は治っていたのです。
 最近は、「円形脱毛症」は受験や塾通いをする小・中・高校生に増えていて、情緒不安ですぐに体罰を加える教師に指導されている生徒に多発したという報告もあります。患者さんの性格には共通した特徴があり、男性患者では子供の時から内気で服従的で、成人後も競争社会から逃れようとする傾向がみられる。女性患者では、男性と同じ消極的な生活態度がみられるが、外向的性格のものもあり、むしろ情緒不安定が目立ちます。脱毛に対する不安、蓋恥心、劣等感、うつ状態などの2次性ストレスの治療はクリニックの得意とするところですが、肝腎の脱毛自体に対しては皮膚科の先生にお願いするしかなく、完全治癒するまで通院してくれる人は多くありません。しかし、「必ず回復する」という保証を与えることが必要だと思っています。では、またお便りします
ある心療内科医からの手紙(9)

心因性摂食障害

 M先生こんにちは。
 今日はますます増えている<心因性摂食障害>のお話をします。昔は神経性食思不振症といってましたが、拒食症ばかりではなく、過食症もあるので、まとめて心因性摂食障害というようになりました。クリニックのデータベースで検索したところ、11年間で、95人受診していました。4人を除いて全て女性で、12才から48才まで平均20才で若い女性の病気と言えます。その中で過食症が51人と半分以上もありました。
 症例は17才高校2年の女子です。高1の7月に「やせたい」とダイエットを始めたら8月には生理が止まってしまった。10月に52kgから40kgに体重が落ちる。クリスマスの日「今まで食べなかったものを急に食べ始めた自分に驚き」この日から過食症が始まる。いつも食物のごとで頭が一杯になり、過食しては嘔吐する自分を嫌悪し、気分の落ち込みを自覚した。年が明け2月、クリニックを初診。165cm・37kg、血圧86/50mmHg、過食と嘔吐、拒食の繰り返し。下剤の大量使用。登校拒否。うつ状態とカルテに記載されている。YG人格検査ではB型で情緒不安定、思考的外向(非行タイブ)であった。
 生育歴と家族関係をみると、1才下の妹と9才下の弟がいて、妹に対して葛藤を持っている。父は父の理想を自分に押しつけてくるが、反抗出来ず、そのため父を憎んでいる。母に対しては中学時代まで激しく反抗したのに、今では「よい子」を演じている。 カウンセラーの面接と私の身体管理と薬物療法が始まりました。治療経過は来月のお便りでお話いたします。
ある心療内科医からの手紙(10)

続・心因性摂食障害

 M先生こんにちは。前回の続きで「心因性摂食障害」の治療経過をお話しします。
 過食と抑うつ気分を治療する目的で、トフラニ−ルという抗うつ期を小量処方しました。効果あり、いらいらが軽減するので、食べ始めても途中でストップが掛けられるようになったと言います。甲状腺ホルモンの低下は、これ以上痩せないための体の自己防衛です。CT検査では脳萎縮が認められましたが、これは老人性痴呆症の脳萎縮と違い、体重が回復すれば元へ戻ります。2月の初診日から10月までは、父への激しい反抗を示す時期で、パーマをかけたり、ピアスをしたり、タバコを吸ったりしました。過食・嘔吐・拒食と下剤の乱用が治らないので、入院を勧めるが拒否。カウンセリングも拒否。中学までは父に反抗できない「良い子」だったことは前回お話した通りです。
 11月から翌年の2月までは、父との会話が増えたが、母への反抗と依存の入り交じった感情が目立ちました。高校を中退して、通信制高校へ転入を考えだし、これを機にカウンセリングを再開する。4月から通信制高校へ編入し、予備校にも通うなど意欲的になる。7月から10月の時期は、両親の仲が良くなり、妹が今度は父に反抗的になる。本人は学習への意欲が高まり、大学入学資格検定試験(大検)に合格する。自分の理想の体重は46kgと言い始め、身体像の歪みが治ってきました。この頃になると食事も3食きちんと食べ、嘔吐しなくなりました。11月からは面接も月1回となり、さらに翌年3月には、短大の英文科に合格しましたので、これを機にカウンセリングを終了しています。
 丁度2年間で面接回数は本人62回、両親21回でした。短大通学中は元気で、食の異常性なく父から愛されてる感じがすると述べています。短大卒業後、モデルやテレビのアシスタントの仕事を意欲的にこなしていました。5年ぶりでお会いしたところ、いま25才、結婚相手も見つかり同棲中という。新人のタレントやモデルのアドバイザーの仕事をしているということでした。体重は42kg。彼と喧嘩するとたまに過食傾向が出るが長く続くことはありませんと、明るい笑顔で話してくれました。
 来月は別の心因性摂食障害の例をお話ししようと思います。
ある心療内科医からの手紙(11)

続々・心因性摂食障害

 M先生こんにちは。前回に続いて「心因性摂食障害」のお話をします。過食症のケースを紹介しましよう。症例は19才女子生徒です。彼女の高校は私の診療圏では進学校として名が知られており、女子は男子より総合点で10点多くないと合格できないという噂が立ち、男女平等の視点から訴訟が起きたことで有名です。高1の終わり頃、同級生の男子から「でぶ」といわれダイエットを始めました。身長は154cm体重は50kgでしたが、高2の10月には35kgまで低下し、生理は停まってしまいました。「食事制限の我慢ができず」昼食後バターロール8ケ、リンゴ2個を一気に食べたのが過食の始まりでした。一時、過食から拒食に転じていたが、国立病院の内科の先生が「好きなものを食べなさい」と助言したため再び過食が始まった。しかしいくら食べても肥満への恐怖心があるため、満足感は無く、自己嫌悪に陥ったと言います。高3の4月から休学しても過食がとまらないため、9月にクリニックを受診しました。体重は50kgに戻っており、生理も再開していました。過食欲求を押さえるには抗うつ剤が効果的でした。同時にカウンセラーの下で心理テストと心理療法を行ないました。抑うつ的で将来の目標が定まらず性的アイデンティティの未確立が見られるが、表現力・文章構成力がすぐれ知能の高さを表していました。
 生育歴では、成績は抜群だったが、小学中学時代を通じて反抗期がない「よい子」の典型だったという。4才下の弟に対し「何でも出来る子、両親のいいところを全部受け継いでいる。それに比べ私はグズでいいとこなし」と羨んでいる。父親に話し掛けられると、からかわれているとしか思えず、常に避けようとしていた。母親が自分のことを「我が家のガンだ」といったので、本当は母に愛されたいのに、拒絶されたと感じたという。1年の休学後、3年に復学し、W大学に合格下。1年半の治療で得たものは「外形を気にしない自分」「誰とでも付き合える自分」を発見したことだという。
 あれから7年後、食の異常行動もなくOLをしている彼女に電話でインタビューすると、「四年ほど前にものの化が落ちるように治りました」と答えてくれた。
 過食症は拒食症のように生命の危険や生理停止などの身体的な危機はないのですが、「やせたい願望」は同じで、手の甲に「吐きだこ」が出来るほど意図的嘔吐を繰り返す症例を見ています。深夜営業のコンビニエンスストアーの出現と過食症の増加は無関係ではないと、私は思っています。M先生、針金のように細いウエストを賛美するメディアに影響され、思春期の女子の間に広く潜在している「やせ願望」を不用意なひとこと(でぶだな−)で病的ダイエットに追いやることのないよう、スタッフにも注意して下さい、お願いします。
ある心療内科医からの手紙(12)

強迫神経症

 M先生こんにちは。今日は本人が一度も診察室に現われず、約半年問の間接的な治療でかなり良くなった「強迫神経症」のお話をしましよう。彼はすでに19歳になっていました。横浜に住んでいましたが、都会は汚いということで、なんと三島市の新築マンションに転居してきました。身の回りの世話をするために母親が付き添ってきました。一人っ子なのです。初め父親から本人が行かなくても薬がもらえるでしようかと電話で相談があり、いずれは本人が来るだろうと予想して受けてしまいました。9月のある日、父親が一人で来られました。不潔恐怖という状態でした。自分の手では何も触れないのだという。お風呂は体を石鹸で洗うので毎回2時聞もかかり、へとへとになる。困るのは食事の時間です。箸は汚いと感じるので使い捨ての割り箸を用い、自分ではまわりに触りそうなので母親に食べさて貰わなければならない。これは甘えているのとはちがうのです。自分でも不合理だと承知しているけど、箸がお皿の外側に触れただけで、もう汚染された箸となり替えなければ気が済まないのです。ほとんど自分のベットから降りられない状態です。症状のため外出どころか日常生活が出来ない自分にいらいらし、抑うつ的になっているのです。「治したい」という気持ちが強く、薬を貰ってきてくれと親に頼んだのです。
 強迫症状に効果があるといわれている抗うつ剤を処方しました。眠気があるのが難点です。夜寝る前にまとめて服むこと、服み続けると眠気になれることを説明、徐々に増量していくと60mg、2週間目で効果が出てきました。小説家志望で、懸賞小説に応募するための小説を書けるようになってきたのは、気持ちが穏やかになってきたからだ。パニックになって親にものを投げたり大声を出したりすることは無くなった。2カ月経過、本人の受診をうながすと行きたいが、外出には使い捨てのコートが必要だという。ここでもう1剤、ドグマティールという薬を追加したところ効果があり、ゴミにうっかり触ったのに汚いと感じなかったので、自分でびっくりしたという。布団の乾燥器も使わせたし、「面倒かけてごめん」と言ったので、親は涙を流して喜びました。外出できないのは外でトイレが使えないからだという。抗うつ剤のアナフラニールを90mgまで増やし、初診から三カ月目には自分で箸を使えるようになった。牛乳やお茶はまだストローで飲み、箸はアルコール消毒をしている。ついに100mg服めるようになり、初診から半年、両親が家庭を二つに分けていることの大変さを話すと、「家へ戻ろう」と言ってくれたので、引つ越します、と紹介状をとりにきた。さらに半年後、家族が近況を知らせに来てくれた。今では電車に乗って一人で病院へ行けるようになったということです。今年2月からは専門学校へ急行の満員電車で通学している、と父親からお手紙をもらいました。
 M先生、「強迫症状」は育て方の問題ではなく、脳内物質(セロトニン)の異常ではないかと言われています。この例はカウンセリングをしないで良くなったことから、その説を支持しているようには思いませんか。またお便りします。
ある心療内科医からの手紙(13)

心因性疼痛

 M先生こんにちは。今日は「心因性疼痛」の例をお話します。頭をくりくり坊主にした中学1年生の小柄な男の子が、布団で簀巻きにされて、クリスマスの日に私の病院へ連れてこられました。校長先生を初め4人の男の先生が付き添いです。「頭が割れるように痛い」「誰かかが追い掛けてくる」「肋骨が食いいるように胸が痛い」と興奮、錯乱状態でした。とにかく、ひもを解いて安定剤を注射、ひと眠りさせてから本人の話を聞きました。
 小学1年から6年まで、複数の友人にいじめられていたのだそうです。掲示物は名前が切り取られたり、写真は目をくり貫くかれたりしたそうです。小2の8月に、父親が蒸発してしまい、マッサージ師で生計を立てている母親は男勝りの性格でいじめについても教師と父兄に訴えたが、相手にしてもらえなかったといいます。しかし、このケースは担任教師の対応が良く、時間は掛かったが良い結果を生んだのです。この時も先生の助けで、いじめは終息しました。
 ところが中学に入り、8月下旬バトミントン部でシゴキを受け失神させられました。9月始業より不登校。学校側の配慮で上級生のいない卓球部へ転部させたら、登校可能となったそうです。9月下旬、運動会の練習中、上級生から胸を強く殴られ、また不登校となり、ついにクリマスの日の受診となった訳です。
 「頭痛」は三又神経でも大後頭神経でも押せば飛び土がるように痛がる、試しに頭皮の他の部位を押しても同様に痛がるので、心因性と診断しました。CTや脳波などの精密検査はすでに国立病院ですんでいました。私はカウンセリングを併用しながら、精神安定剤・鎮痛剤を与え、鍼治療を施しました。痛みは腹痛になったり、母の手を握らないと眠れなかったり(退行現象)、夜になると「どこかへ行こうよ」とせがんで母を困らせるなど症状が変わりました(症候移勤)。 この学校は県境にあるとても小さな学校で、1学年1クラス、中学も同じ1クラスという特殊性があり、小学校のいじめは中学まで持ち越されます。このケースは保健室登校を続け出席日数を確保しました。2年の5月、修学旅行では写真係を受け持ち張り切って参加したのですが、出来上がった写真を誰も注文してくれないという、いじめ(無視)に会いました。(私が開業したので)病院からクリニックに変わったが通算四年の通院で、県立高校へ通うようになったら、身長も伸び頭髪も伸ばしハンサムな青年に変身、成績も中の上と、全てに自信を付けて治療を終了しました。
 現在24歳、有名な蒲鉾屋さんで商品管理の仕事をしている。身長も更に伸び足は26センチ、洋服はLサイズということです。M先生、「痛み」が身体言語であることは前にもお話したことがありますよね。支えきることが大事な例として記憶して下さい。ではまたお便りします。
ある心療内科医からの手紙(14)

不安神経症

 M先生こんにちは。今日は現在なお治療中ですが26歳、独身女性の「不安神経症」のお話をしましよう。この症例は「母と娘」がテーマであって、最近とても増えているように思います。
 5年前から頭痛やめまいを感じていたが、病院へ行くほどではなかった。昨年12月車を運転中、動惇がして息が出来なくなるような発作が起きた。今年の5月会社の中で息苦しい発作が起きたのでついに寝込んでしまいそのまま退職した。幾つかの病院を回ってから6月初め私のクリニックを受診した。発作が恐くて車を運転できずバスで通院しなければならない程だった。抗不安薬を処方したが、次回からカウンセリングを併用することにした。その後、本人の希望で毎週カウンセリングを行い、9月19日までに11回行なわれた。
 本人はすでに退職していて、原因は職場にはない。さて何だろう。父親は高校生の時に病死したので、以来母と二人きりである。最初の面接で「学生時代から自立したい、親から離れたいと思っていた」ということが分かった。が同時に「親に頼りたい、お母さんと離れると不安だ」とも言う。母親の放任と過干渉、娘の自立と依存が垣間見える。夢中で自分について話しまくる様子は25五歳とは思えないほど幼く、中高生のようである。(これを退行現象<赤ちやん還り>と言います)。性格は素直で、影響されやすいので「そうなんだア、そう思えばいいんだア」とカウンセラーの言葉を鵜呑みにする。
 2回目の面接の終了時、「先生これあげる」と自分がしていたビーズのブレスレットをカウンセラーに差し出したという。とつさの判断でそれを受け取ったカウンセラーは「今、彼女は幼稚園児だな」と思ったという。
 第3回目の面接は意気消沈して入室してきた。だいぶ良くなったので母とお使いに出たら、車が渋滞に巻き込まれ、発作が起きそうになってしまった。このことで最初の発作を思い出したという。親戚から母娘ふたりが冷たく扱われたことに我慢を重ねていた時に最初の発作が起きたという。「無理したり我慢したりすると発作が起きるんですね」と気付く。
 第4回目、「私はずうとお母さんと一体だったんですね」「今はお母さんはお母さん、私は私って思えるようになった」「何でも前もって用意周到に決めておかないと不安だつたけど、あした朝起きてから考えるわって言ったら、お母さんの方がびつくりしていた」。
 第5回目、表情が固い。「お母さんが前の晩私に頼んでおいた家事を、寝坊して起きていくと全部やってあったので腹がたった」という。カウンセラーが「(あなたは)私に任せてくれない、私だってちゃんと出来るのにと言いたかったのかしら?」というと「ええ、(先生に)言われてそうなんだと思った。もう私は子供じやないのに、当てにしてくれない、支配するっていう感じ。お母さんは嫌いじゃないけど、もう放っておいてよと言いたくなる。お母さんは中学出ただけなので、負けたくない気持ちが強く、泣いたことがない。何を言っても<だって>って言う。お母さんを変えるのは無理」と洞察が進む。
 こうして3カ月間のカウセリングによって、幼児から児童へ、さらに思春期へ成長していく様子が分かります。その経過は決して平坦ではなく、何度か発作を起こしかけては落ち込み、その都度カウンセラーの適切な言葉かけにより、母と娘の関係を修正し、自分を表現する言葉を獲得していったのです。自分が変わることで母も少しだけど変わったなと実感できたようです。3カ月という短い時間で、このように鮮やかに人格の成長が得られたのはむしろ僥倖な例であって、普通は1年も2年もかかるものです。
 M先生、このように母の過干渉から抜け出せず、なお依存的な娘を身近に見ることがきっとあると思います。今日のケースの1年後をご報告したいですね。ではまた。