「発信21」 「発信21」へ戻る

子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」
開設記念シンポジウム!

 3月26日(土)、フォーシーズンズ志木ふれあいプラザにおいて、子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」開設記念シンポジウムが開催され、60名以上の参加がありました。 前半はNPO団体、児童相談所、保健所に勤めるスタッフ・職員の方々が、自分たちも以前は相談「する側」であったという話や、それぞれの活動領域から見える「相談する側」の大変さ、「相談される側」の大変さなどについての話をしました。 後半は会場全体で円形に座り、参加された方々の経験されたことや、実際に相談した時に「困ったこと」などについて話し合いました。


@平田秀男さん(NPO法人チューリップ元気の会

 「発達障害」というのは誰かに相談してみようかと悩むほど“分かりやすい”ものではない。家にいる時の子どもの姿しか知らない私に学校から連絡が入る、「うちの子が教室での生活に困難を抱えている・・・。そんなはずはない」と思っていた。 家で子供の勉強を見るようになると、次第にイライラしてくるのが自分でも分かった。昨日出来たことが、今日できない。なぜなのか理解できないまま苛立ちを抑えながら問いただす。子ども自身にもなぜなのかは判らないから返事が苦しくなる。やがて “イライラ”が「憎しみ」へと変わってしまう。溜まっていたモノが一気に噴出し暴力へと変わっていく。子供は大声で叫ぶ「ごめんなさーい!」「ぼく、いい子になるから一生懸命勉強するから!」でも、次の日も変わらない。「軽度発達障害」という言葉すら知らなかった。知ることで、立ち止まれた。「あー、そうなんだ。そういう子っているんだ!」「なんで今まで自分は知らなかったんだろう?」色々な本を読み、人々と出会って学んでいくうちに疑問がわいてきた。『自分と同じ様に悩んでいる親は大勢いるのではないか?どうして、身近なところにアドバイスをしてくれる場所がないのだろう?』初めてこの問題に直面した親は、どこで誰に話を聞き、相談すれば良いのかということを感じていた。


A秋山大祐さん(ビリーヴ/ひきこもりなどに関する相談)

 相談「する側」だった自分が、相談「される側」に。小5の時に「石を拾って止めない」「頻繁に手を洗う」「教室にいると苦しくなる」などのことがあった。当時は“なまけ病”と呼ばれ、相談しに行ったのに叱られて帰ってくるということが続いた。 あるカウンセラーの方の「(その石は)大ちゃんにとって大切なものだったんじゃない?」という言葉に、母親がすごく救われた。自分の話し、子どもの話しを聴いてもらえたという肯定感があった。時間はかかる。無理やり学校に行かせるようなことはしないで、と言われた。見方を変えれば『意志が強い』ということ。当人が苦しいのなら親が動く。良い出会いに『出会えるまで』探す。 「開き直る」ことの大切さ。ずっと母親は“どうすれば子どもが学校に行くのか”ということを考えていた。子どもは苦しんでいる。学校に行く自分、“いい子”にしている自分が好き、ではなく『ありのままの自分が好き』という「愛」を感じたとき、すなわち母親が「学校に行かなくていい」と心から100パーセント思えたとき、私は学校に行った。人間には本来、自分に関することを解決していく力が「ある」。そういう力を『持っている』。<ビリーヴの掲載へのリンク>
    E-Mail : belive@mx8.ttcn.ne.jp
    案内はコ・ラ・ボ埼玉ホームページへ http://www.collabo-saitama.jp/


B増田良枝さん(NPO法人越谷らるご フリースクールりんごの木)

 私の娘と息子が不登校を経験。娘は、中学で部活の仲間から浮いてしまい、部活の顧問でもあり、クラス担任でもある先生とも上手くコミュニケーションが取れなくなって不登校になった。母親である自分に学校から呼び出しがあり、複数の先生達に囲まれ、まるで“尋問”のような扱いを受けた。父親には一部始終を話しておいたが「生徒のことを理解できないようなバカな教師に負けるお前(娘のこと)はもっとバカだ」という態度。病院に行けば本人の前で「お母さん。これは重症ですよ」と言われる始末。「世間」対「母娘」で闘ってきた。 ラッキーだったことは、すぐに知人を通して、学校に行かないで生きている人たちの場があるということを知ったことだ。目からウロコが落ちたような気持ちだった。「自分にもできるんじゃないか・・・。」たまたま地元でフリースペースを創ろうという動きがあるという話を聞き、自分も参加した。 それが「フリースペースりんごの木」で、そこで出会った『子どもたちから』たくさんのことを学んだ。その頃は週1日から2日の活動だったが、だんだんと活動も活発になり、子どもたちが毎日居られる場所を作ろうということになった。りんごの木を中心に集まった人々でNPO法人を設立、「フリースクールりんごの木」を開設した。子ども、大人に関係なく、苦しいことや悲しいことも、「共有」してくれる人がいればなんとか「やっていける」。昨年度は、フリースクールの10代の人々を中心に、地元の10代〜20代前半の人々と福祉医療機構からの助成金で映画を制作した。「子どもたちって力を持っているんだなぁ」と心から思った。 一方では、一部の保護者と共通の認識を持てないで悩むこともある。例えば、本人の特性を考えず、親が「普通高校への進学」を固執したり、「○○障害を視野に入れた方がよいのではないか」と考えられるケースがあっても、スタッフの助言を聞き入れてもらえないことなどがあった。そういうときに『この子たちはこの先どうしていくのだろう。中学卒業後、親はどこに相談にいくのだろうか?』と思いを馳せてしまう。私たちの“日常”の経験から「コ・ラ・ボ」のような『横の連携の必要性』を実感していた。


C愛沢隆一さん(所沢児童相談所)

 生活者としての視点。相談「される」側である自分自身も“子育てになやむ”親の一人であって、それは学校の先生だって同じ。ところがひとたび相談「する側」にまわったり、「される側」にまわったりすると分かり合えない部分が出てきてしまうのはどうしてだろう・・・。そういう事を常に考えていなくてはならない。相談を受ける側も、自分自身に相談「する力」をつけておかないと『いい相談』にものれない。 児童相談所では、一日の仕事の7割か8割が虐待に関すること。「どうして救えなかったのか?そんなヒドイ親のもとからは早く“保護”しなくては・・・」と世間的には言われるが、子どもが犠牲者(被害者)であると同時に『親も』犠牲者であり、一人で苦しい思いをしてきたということを無視することはできない。 近所の“通報”によって駆けつけた職員が、『謝る』ことで疲れてしまう。一時的に保護しても、施設に限りがあるので預かった子を転々とさせてしまう。一人に落ち着いた場所を提供したいのにそれが出来ない。「自分たちが虐待をしているんじゃないか」と感じてしまう…。 実際にその地域でどんなことが起きているのかをみんなで考えていかないとどうしようもない。『相手の大変さ』を知った上でないと、共に創っていけない。私たち児童相談所の職員もフリースクールなどのことを知らないといけない。 保護した「あと」の話し。子どもが「生活する」場としては適していない。職員も地域で生活する者の一人であるため、例えば病気になったときなど、一番一緒にいて欲しい人(職員)がいるとは限らない。 人間の生活は全て「つながって」いる。施設のような集団の中では全てがつながって「いない」ので、実際に一人で生活してみると家庭の中でどういう「流れ」があるかというモデルが分からない。 生活者であり、相談者でもあり、相談を受ける側でもあるということをしっかりと意識しなくてはならない。

D斎藤秀一さん(朝霞保健所)

 実際に保健所に勤めるまで、保健所というものをよく知らなかった。「保健」というと“衛生”というものに自然とつながってしまっている。「精神保健」という分野に関しても、『当事者が生活しやすくするにはどうしたらよいか』ということが大切であって、“発見”が早いから良くて遅いからダメだということではない。“遅かったから終わり”ということではない。 状況が「“こじれ”ちゃってから」保健所が何でも対応できるかというとそうではないのだから、出来るだけ早い段階で『つながる』ことは出来ないだろうか、というのがこの相談室「コ・ラ・ボ」をつくるきっかけ。今日話された3人のように、『気付き』があって、何らかの『出会い』や『関わり』があって、『転機』というものが来る。早ければ良いということではないが、新しい出会いやつながりが生まれることで、『気付き』というものに結びつく可能性が出てくるのではないか。 「心」というのは誰もが持っているものだから、“病気だ”とか何かひとつの原因を求めるんじゃなくて、色んな状況から起きてくる「課題」や、生活していく中で「どういうふうにやっていくか」「どういう形がいいか」などの事柄は、おそらくもう、一機関では「答え」が出せないのではないか。そうであれば、出来るだけみんなで集まってみんなで一緒に考えて、「こういった話しなら、こういう所がよりベターなんじゃないか」とか、或いは「こういう事だったら、こういうことも出来るよ」とか、そういう機会を出来るだけ早目に持ちたい。早目に持つことで「考える」ということからスタートすることができる。 “相談”=「何か特別なことを言わなきゃいけない」ではなくて、『一緒に考える』という姿勢が必要。それと同時に「生活全体を包み込む視点」も必要。 相談の“こぼれ”。三遊間のヒットに例えると、サードとショートが『少しでも歩み寄っていれば、こぼさずに捕れたんじゃないか・・・。』そう感じることが日常的に多い。相談を受ける側の人々も、それぞれ自分のエリア(守っている所)というのがある。でも、一歩ずつ歩み寄っていれば、もっともっとこぼれないようになるのではないか。 「つなげていく」というソーショルワーク的な部分。本人が変わらなければならない“部分”というのもあるかもしれないが、その前に「環境」という部分を変えていく。 後半は会場全体で円形に座り、「保健士の言葉で傷ついた」という話しや、「子どもに対することではなく、自分に対する優しい言葉『お母さん、疲れてませんか?』と声をかけてもらって話しやすくなった」という親の方の話しなどがありました。また、学校の現場で働く先生からの声や「相談者の二次的被害」の話し、「子どもが“暴れる”のには必ず理由がある」という話しなども出ました。

後半のフリートーキングの様子



第3回 子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」!
 6月11日(土)、フォーシーズンズ志木ふれあいプラザにおいて『第3回子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」』が開かれます。
 問い合わせ・申込み先:
   NPO法人コ・ラ・ボ埼玉
   子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」
 〒353−0007
 埼玉県志木市柏町4−5−28
 電話 : 048−487−3378  FAX : 048−487−0006
 E-Mail :(担当:石田)
子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」ホームページ
(コ・ラ・ボ埼玉ホームページ内)
http://www.collabo-saitama.jp/

第2回 子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」!
 5月14日(土)、NPO法人フリースクールむさしの学園において『第2回子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」』が行われた。ニート・引きこもり傾向に関する、比較的若い、当事者からの相談が目立った。

第1回 子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」!
 4月9日(土)、フォーシーズンズ志木ふれあいプラザにおいて『第1回子育てになやむ/心の相談室「コ・ラ・ボ」』が行われた。相談者の年齢は幅広く、ニート・引きこもり・発達障害に係る相談が多かった。



「ゴー・ゴー・ガバナンス」発足記念フォーラム
『21世紀型公務員とは』

 6月4日(土)、フォーシーズンズ志木ふれあいプラザにおいて「ゴー・ゴー・ガバナンス」発足記念フォーラムが行われます。詳細は以下の通りです。(参加対象は公務員となっています。)

講   演 演題 「21世紀型公務員とは」
講師 鈴木英敬氏(経済産業省)

≪講師紹介≫
 鈴木英敬氏は、全国を行脚して、構造改革特区の立ち上げから広報、定着まで、全てに関わる、自称「構造改革特区の営業マン」としてご活躍され、本年1月には、鈴木氏の呼び掛けに応じたキャリア官僚7人組(平成10年入省が中心)で役人改革の起爆剤となるべく「スーパー公務員養成塾」を立ち上げられ活動されています。
参加対象 公務員
日   時 平成17年6月4日(土)
15時開会(14時30分会場)
場   所 フォーシーズンズ志木ふれあいプラザ
(志木駅東口駅前ビル8階)
  志木市本町5−26−1
  TEL:048−473−1000
参 加 費 1,000円
申 込 先 sec@manabi-21.com

クリックすると大きく表示します
g3info.pdf
PDFファイルです