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むさしの学園「秋まつり」・BBQ大会

 

 10月13日、体育の日。天候にも恵まれ、<むさしの学園秋まつり・BBQ大会>が行われました。参加者は、スタッフ保護者も合わせて46名。急遽決まった企画であるにもかかわらず、気が付けばこのような大所帯…嬉しい誤算に「肉の追加発注!」当日を迎えました。
 <設営をするお父さん・高校生は9時前に集合し、柳瀬川の会場に向かう。またBBQの材料購入のためお母さんたちは9時半に学園に集合し、近くのストアーに向かう。他のお父さん、お母さん、子どもたちは11時に集合し、徒歩で会場に向かう。20分程歩くと柳瀬川の河川敷に着く>。
 柳瀬川の河川敷にテントと大きなテーブルが並べられ、若者サロンメンバーが作成した「むさしの学園」の幟(のぼり)がはためきます。青空の下でA君のお父さんが開会宣言。次にマイクリレーで一人ひとりが自己紹介。普段は引っ込み思案な女の子も、屋外の開放感も手伝ってしっかり名前を言うことができました。
 いよいよBBQ。お父さん・お母さんのお陰で焼かれるばかりにととのった鉄板に、子どもたちも集まってよく手伝い、よく食べ…。お腹が満たされたところでゲーム大会。実習生たちが企画してくれた<○×ゲーム>、<当てっこクイズ>など小学生から高校生まで皆で楽しみました。
 秋の一日を満喫し、あっという間に夕暮れ時に。閉会式ではゲーム大会の表彰式(この日のために絵の得意な生徒が作成してくれた賞状を贈呈しました!!)。生徒代表・保護者代表が終わりの挨拶。そして最後の締めくくりは、学園代表の閉会宣言。ところが!ここで生徒の一人が塾長のマイクを奪い、皆に「今日は楽しかったですかー?!」と大声で呼びかけました。お株を奪う名演説で、<むさしの学園秋まつり・BBQ大会>は楽しく幕を閉じたのでした。

 <秋まつり>の一日、子どもたち(小中高)は父・母・スタッフを良く手伝い、カメラマンになってくれたり小さい子の面倒を見てくれたり、また得意のダンスを披露して皆の目を楽しませてくれたりと大活躍でした。「お祭り」の雰囲気と広々とした自然の空間のなかで、普段は顔を合わせることのない生徒やお父さん・お母さん、多くの人が色々なツールを通してふれあうことにより、自然で心地よい時間を共有できました。
子どもたちの笑顔と親たちのがんばりと…皆が皆、自分たちだけのためではなく皆のために動く、そんな学園の雰囲気にスタッフ一同励まされ、宝物をもらった一日でした。
 (企画段階から協力してくださった保護者の皆様はもちろん、参加してくださった生徒・保護者の皆様と、参加はできなかった生徒・保護者の皆様にも、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。)

 

 


「10月の親サロン」からの便り

(「ひと塾」広報「ひと息。」10月号より転載)

 

 

 

 今回、BBQ打ち合わせが行われ、親サロンの協力あって秋まつり大成功となりました。皆様、ありがとうございました。    

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 メディアや世間の風潮は「幸せ」を声高に宣伝し続け、人々は実態もわからないまま「幸せ」になろうとする。実態がない「幸せのフォルム」へのプロセスなど実際には存在せず、結果「あっ」と言う間に「幸せ」になっている筈だという誤解が生まれる。しかし現実にはうまくいかない事、できない自分を発見する事の方が成功よりも遥かに多い。「幸せ」であることがフツウの筈なのに「幸せ」でない自分。そのジレンマが若者たちを苦しめる。…以上は今回語られた事の一部です。私がこのことを強く体感したのは就職活動でした。職に就いた後の「輝く自分」を語り、何の迷いも躊躇いもない自分を演じることが求められる面接。企業は「オンリーワン」の人材を求めている…それだけでなく親も教師も「オンリーワン」になれと、社会全体からメッセージを送られているような感覚。それはナンバーワンになれない者への救いのように見えて実は、誰もが個別に優れた何かを持っている筈でありそうでない者は不幸な弱者の烙印を押されるという重圧に他ならないのではないでしょうか。私は小さく「平凡は非凡」と呟いてみるのでした。(柴)

 


第九回 公務員塾 大成功!

 

 今回で第9回目を迎えたゴー・ゴー・ガバナンスは、政策観光のカリスマ女性である椎名喜予さんをお迎えし、佐原の観光まちづくりについてのお話を伺いました。職場で「協働」を担当している私としては、テーマに記載してあった「政策協働」という言葉に興味を持ち参加しましたが、佐原のまちの人々を誇りに思い、その様子を熱心に語る椎名さんから、まちづくりに対する熱い思いを感じるとともに、その思いを地域の方々と共有し、同じ価値観(哲学)を持ってまちづくりに取り組むこと、そして「政策協働」として視野を広く持つことが、まちづくりの秘訣であると感じました。
 佐原には、「江戸勝り」という言葉があり、江戸以上に本物にこだわる文化やくらしがあります。また、成田空港に近く、外国人観光客が気軽に佐原の文化に親しむことができます。そのような中で地域が一体となり、気配りと心配りを大切にした「心の観光」は、訪れる人々に感動を与えています。また、椎名さんは、まちの人々の声を大切にし、行政はつなぎ役に徹することを語っておられました。
 私も行政職員として、次世代の子どもたちに残していくべきものは何かを真剣に考えて、自分のまちの特徴を活かした、市民主体のまちづくりを進めていきたいと思いました。
 貴重な機会をありがとうございました。(和光市職員)

 


第40回日本PTA

関東ブロック研究大会

埼玉県大会

 


本学園代表の望月が

助言者として参加

 

 10月17・18日、熊谷市内の会場で第40回日本PTA関東ブロック研究大会埼玉県大会が開催され、本学園代表の望月が第4分科会「人権・共生=テーマ《子どもに、助け合いの心や思いやりの心等をはぐくむための働きかけについて》」の助言者として参加した。埼玉新聞社次長デスクの吉田俊一氏がコーディネーター、NPO・学校関係者がパネラーになり、問題提起・活動報告等を行った後、会場の参加者とのディスカッションを行った。途中と最後に望月が助言者として発言等を行った。下記の文は望月が報告書として埼玉県PTA連合会に送った文書です。

 子どもたちや若者たちのことを考えるとき、
  @ 人は皆、生まれて死ぬまで様々なプロセスを経て進化し続けている
  A 彼らは大人たちと違って進化の度合いが大きい
  B 親を含め大人たちは子どものほんの僅かな側面しか感知しえない
等のことを念頭におく必要があります。

 人は社会(家族・友達・学校・書物等々の自分以外の全て)から大きな影響を受けながら育っていますが、受け取り具合や反応は百人百様です。大人に比較して子どもや若者たちは感受性が強く、社会からの影響は大です。長い年月を経てその影響が蓄積かつ変容かつ混合かつ化学変化し、結果として、大人たちにはなかなか理解できない反応が突然に表出します。
 例えば、学校に行けなくなった子どもを大人たちは素直に受容できません。だから「どうして?行かないと将来困ることになるよ!」などという言葉を発します。そのような言葉は子どもの成長において有効性はありません。学校に行けない現実は突然起こったことではなく、長い年月の間に育まれて(?)きた結果だからです。先ずは子どもの現実を丸ごと受け止める、即ち受容することから始めることが大事です。学校に行けなくなった子どもは子どもの中でも特にピュアな感受性の持ち主です。微小の音にも反応してしまいます。その結果として学校に行けなくなったり、引きこもりがちになったりする状態が表出します。その時に大人たちがいじくりまわせば回すほど子どもの自己肯定感は下降し、自己否定感が増大します。年齢が加算されるにしたがい、働くことに自信がない、家の外に出るのが怖い、という若者なっていきます。
 このような考え方は全ての子どもや若者たちに適用できます。彼らは大人が感知できない、いや自分さえも感知できない闇の部分で進化しているのです。彼らを分かったつもりで決め付けてしまう対応ではなく、とりあえずありのままの彼らを受容する姿勢が大人たちに必要とされているのではないでしょうか。そのためにも大人たちは立ち止まって物事を語ってはいけません。年齢に関係なく死ぬまで自分も進化していることを自覚しつつ、彼らを見つめることが大事だと思います。