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<フォト・ワークショップ後編>

 

 8月2日(日)、フォト・ワークショップ後編【作品鑑賞会】が行われました。
 前半は、村松さん(=実習生/講師)が一人ひとり選んだベストショットを紹介。「どんなところに工夫した?」「大変だったところは?」と、小さな写真家たちにインタビュー。構図にこだわったというAさん、猫が欠伸をするまで2時間粘ったというYくん。聞いてみなければ分からない様なエピソードがどんどん飛び出しました。また、「写真に写った人物がどんな会話をしているのか想像してみよう!」という村松さんの提案に、名回答・珍回答が続出。会場は笑いに包まれました。
 後半は、スクラップブッキング。写真と色画用紙を切り貼りしての作品づくりです。仕上がった作品を皆で鑑賞したあと、最後にお父様・お母様から一言ずつ感想が述べられました。

 写真という形で表現し、その表現を他者にみてもらうという一連の体験は、子どもたちにとって新鮮であり、また表現を受け取った私たちにとっても新しいものでした。
 今回、子どもたちにとって大きかったのは、自分の発言を村松さんが解釈しフィードバックがなされたことでしょう。それは、撮影時にはそこまで深く意識していなかった自分の行動に、明確な意味が付与されたことによる、自信のような、確信のような…そんな自負心の芽生えにつながるものであったのではないか、と私は感じています。「本物」だからこそ、「プロ」だからこそ、その感覚を子どもたちに与えることができるのでしょう。素晴らしい講師との出会いに感謝し、今後、このプログラムが更なる広がりを見せることを願っています。

 


<親サロン議事録〜8月>

 

 8月23日(日)16名の参加を得て8月の親サロンが行われました。フォト・ワークショップ終了報告、そして10月4日に行うイベント「親が語る、親たちが語りう(仮)」(コ・ラ・ボ埼玉主催)に向けての意見交換がなされました。その後は、いつものように近況報告。
 この日の話題は、家族[内]の人間関係と家族[外]の人間関係について。
 「ほっといてくれ」という言葉。或るお父さんは、食卓で起こる息子と母親との会話を次のように話します。――母親は色々と話しかけるのだが、息子にしたら一日の疲れもあるしご飯を食べているしで、それどころではない。結果、「ほっといてくれよ」。この一言に母親は感情的になる――。本人にそのつもりはないのに、相手は「拒否」と取る。取られた方は辟易して今度こそ拒否的になる…。
 子どもたちにとって、例えば映画を観る・カラオケに行くその相手が、友だちである場合と、家族である場合とでは、両者は全く異なる経験であると言えます。友だちと過ごすとき、主導権は相手の側にあるためです。大人であっても子どもであっても、相手のペースに合わせて過ごすのは、それがどんなに楽しい時間でも疲れるものです。そしてこうした時間を重ねることが、子どもたちにとって大切な経験となっているのもまた事実なのです。
 そうした一日を終えて帰宅する子どもや大人にとって、家族は気を抜いて過ごせる相手となります。結果、言葉が足りなかったり、素っ気なかったりする事もあるのでしょう。それが、「ほっといてくれよ」なのです。この言葉を、少しの余裕と距離感を持って「拒否ではない」と受けとめる事で、相手との間に安らぎが生まれるのではないでしょ
うか。
 私と母は、今でこそ[友だち親子]ですが、本当にそうなったのは私が仕事を持ってからの事です。[友だち]という言葉は、対等に話をし、接し合うことができる関係をイメージさせます。それは良好な関係である一方、良好さを保つための配慮が必要であることを意味しています。親子であるからこそ、気遣いと尊重が必要とされるのです。
 変化の兆しは、私が中学を卒業する頃からありました。その頃は、母に認められる嬉しさよりも、都合のいい時だけ大人扱いされ、物分かりの良い子どもにさせられているような、窮屈な気持の方が強かったように思います。気を遣わ[されている]ように感じていたのです。身体は大きくなっても、経済力も知恵もないのだから当たり前だったのかも知れません。私は、25年目にして漸く、少しずつ、母を気遣うことができるようになってきたところです。
 「ほっといてくれよ」なんて、言ううちが花。まだまだ甘えているのだと、微笑む余裕が持てたら素敵ですね。(柴)



 


<第3回テニス大会> 

 

 9月26日(土)、真夏は一時休止していた「若者サロンテニスクラブ」が久しぶりに行われました。当日は、学園生徒・若者サロンメンバー・お父様、お母様・スタッフ、総勢17名が参加し、汗を流しました。
 前回のミーティングでメンバーから出された意見(「コートを2面すると初心者も参加しやすい」)を反映し、今回は、コートを2面にしての活動。部活動での試合を控えた高校生たちは、バシバシ練習。隣のコートでは、お父さんたちがテニスの経験が浅い子どもたちの指導をしています。時折、若者サロンメンバーも指導に加わるなど、1時間はあっという間に過ぎてしまいました。


 

 


<9月親サロン議事録>

 

 9月27日(日)の親サロンには13名が参加。 BBQやフリマ出店等の打ち合わせを行いました。
 
 この日のキーワードは「リア充」。「リア充すれば、やら卒できる」これは「追っかけ」用語で、「リアル」が「充実」して初めて「やらかし(追っかけ)」を卒業できる、という意味なのだそう。
 リアリティ、実感、充実感…それらを持って日常を送ることは、言葉以上に難しいものです。10年ちょっとの人生で、何がわかるものでしょう。けれど周りは、「自己実現」や「自分の夢」や、まるではっきり、自分が何者なのかわかっていなければならないのだと言っているようです。そんな言葉を、真剣に受け止めようとすればする程、求める「リア充」の基準は厳しくなるでしょう。考えれば考える程、一歩が踏み出せなくなるのです。けれど、本当に、「自分が何者か」わかっている人などいるのでしょうか。
 私など、やっと最近少しずつ、「リア充」してきたような。「リアル」、それは、自分自身の重みの「実感」といった感覚です。輪郭さえ不鮮明なまま過ごしていた大学時代、いつももやもやとしていました。それは今も消えた訳ではありません。きっと一生、蟠りながら模索しながら生きていくものなのだと、はっきりしたのは、今もそれだけです。 
 「私のリア充はどこにあるのだろう?」そんなふうに考え出すと、どれもが違う気がしてくるものです。初めから、決めることなどできないものなのかも知れません。ただ、「フットサルをしていると楽しい」とか、「誰かと話をしたらすっきりした」とか、そんな一コマ一コマが、人間のリアルを充実させていくのではないでしょうか。気がついたら、「あ、リア充してるかも」。今の私は、そんな感覚です。必要なのは、「決定」ではなく、「過程」なのだと思うのです。「そんな事。」と言わないで、子どもの、自分の、小さな「リア充」の感覚を大切にしたいと、そう思います。(柴)

 


<フットサル大会〜10月〜>

 

 10月10(土)24日(土)と、10月は2回行われたフットサル。10日は18名、24日は19名が参加しました。フットサル大会は3回目となり、初めは控えめにしていた(?)中学生たちも積極的にプレーするようになってきました。高校生や先輩たちは負けじと動き、ますます本格的な試合が展開されています。
 「中学生たちもよく動けるようになった。高校生やもともと上手な子たちは、自分を負かそうと向かってきてくれ、それもまた嬉しい。」後日、学園スタッフにそう語ってくれたのは、現在も小学生相手にサッカーコーチをしている実習生さんでした。
 特に男の子たちにとって、思い切り身体を動かし発散できる場面は重要な様です。「男だから・女だから」と、ジェンダーを強調するわけではありませんが、相手を負かそうと向かっていく姿勢や、チームメイトを気遣う言葉が自然に出てくるのを目にするにつけ、こうした場が発散だけではなく、「男の子」が逞しく、頼もしい「男性」へと変容していく場でもあるのだろうと思うのでした。


 


第一回<親による親のための集い>

 10月4日(日)、志木駅前・マルイ8階にある「ふれあいプラザ」にて、第一回『親による親たちの集い』を開催。40名余りの「親たち」が集まりました。
 第一部「親が語る」では、代表・望月がコーディネーターに、親サロン会員の中から5名がパネラーとなりそれぞれの経験が語られました。会場には、大きく頷きながら聴き入る人や熱心にメモを取る人の姿。真剣なまなざしがステージに向けられていました。
 パネラーから語られる等身大の体験談に、会場には共感の雰囲気が流れます。「今、自分が置かれている状況」を彼らがどの様に脱却し壇上で語れるまでに至ったのか、そのプロセスが語られると、会場は感嘆とも納得ともとれる溜め息で満たされました。そして静かに、それぞれの内省が始まったようでした。
 これまで、子どものことについて何度となく考え続けてきた「親たち」。しかし、自分自身について考えたのは、もしかしたらこの日が初めてだったのかもしれません。問題を他者ではなく自分自身のものとして考えること。「内省」することこそが、「親たち」にとっての新たなスタートラインとなるのでしょう。
 この日、会場に集まった「親たち」が、新たな視点をもって子ども、そして自分自身を見つめたこと。それは既に新しい一歩を踏み出したと言える事実です。また、壇上に立った「親たち」も、自分自身の経験を語ること、それも自分のためではなく他者に向けて語るという経験が、新な一歩となったのではないでしょうか。

 


<10月親サロン>

 10月25日(日)、13名が集まり親サロンが開かれました。まずはBBQの打ち合わせ。材料の量や準備の分担まで手際よく決まり、残る心配は当日のお天気くらい。回を重ねているだけあって頼もしい限りです。
 今回、話題の中心は、若者が「社会」に自らを位置づけていく過程について。
 人は常に、「次の場所」を探さねばなりません。中学校から高校、高校から大学、大学から会社…。しかもそのハードルは、次第に高くなってゆくのです。本当は、「適性」などというものは存在しないのに、就職活動ではそれを問われ、自分自身、自分の「適性」はどこに在るのかと考える。誤魔化しの下手な者ほど、正直者ほど、次の場所を選ぶ事に苦心する。失敗を許さない空気。動き出す前に、先々のビジョンまで提示しなければならない重圧。そんな、誰が創り出したのかわからぬ雰囲気に絡めとられ動き出せずにいる若者が、「ニート・フリーター」「ひきこもり」と呼ばれ、問題視される時代。しかし本当は、誰もがその予備軍なのではないでしょうか。ちょっとでも真面目に考えてしまったら、誰もまともに前進などできないのではないでしょうか。…私自身、正にそうなのです。
 望月は言います。「男は30歳までに自分の名前を言えるようになれ。」つまり、30歳まで猶予がある、と。さらに、若者たちは、大人にさせる事を急ぐ環境からのプレッシャーに呑み込まれ、失敗できなくなっている、と続けます。失敗を恐れる程経験は乏しくなり、経験の蓄積がなければ次の場所を選ぶ事は益々困難になる…。だからこそ、「小さな日常」が大切。日常の中に在る小さな失敗や小さな成功を本人にフィードバックする事が、「選択する力」を養う。そして30歳になる頃までには、「私はこういう者です」と言える様になればよいのではないか。

 それは、少しだけ長い目で、広い視野で、状況を捉え直す事。それは、「今」直面している巨大な壁からちょっと距離を取って引いて見る事。するときっと、その巨大な壁も永遠に続いてはいない事、思ったほど大きくはない事、いつか越えられそうなものである事…そんな事が、見えてくるのではないでしょうか。(柴)


 


望月代表の対外的な活動記録

平成21年8月〜11月

(8月)
 6日:朝霞保健所とミーティング
 8日:こころの相談室
19日:NPO・大学シンポジューム実行委員会(埼玉県)
20日:埼玉県:県南西部NPO連絡会打ち合わせ
23日:ひと塾 親サロン
25日:埼玉県:県南西部NPO連絡会運営委員会
28日:和光市協働推進懇話会

(9月)
 4日:和光市協働推進懇話会
 5日:こころの相談室
 6日:第11回 公務員塾
 7日:立教大学社会調査実習生からのヒアリング
11日:埼玉県疾病課引きこもり担当とのミーティング
25日:NPO・大学シンポジューム実行委員会(埼玉県)
27日:ひと塾 親サロン
28日:埼玉県:県南西部NPO連絡会運営委員会
30日:早稲田大学大学院後期実習生とのミーティング

10月
 4日:「親による親のための集い」開催
10日:こころの相談室
11日:NPO法人「ボランティアふれあい祭り」参加
13日:第三回「非行立ち直り支援協議会」
21日:第三回「和光市協働推進懇話会」
23日:第二回「地域ブランド商品の開発・販路開拓による地域づくり推進事業」実行委員会
25日:親サロン
30日:埼玉県:県南西部NPO連絡会運営委員会
31日:埼玉県:青少年立ち直り体験交流会

11月
 2日:NPO・大学シンポジューム実行委員会
 7日:心の相談室
18日:県南西部NPO連絡会運営委員会(埼玉県)
26日:第三回「地域ブランド商品の開発・販路開拓による地域づくり推進事業」実行委員会
28日:NPO・大学シンポジューム
30日:児童生徒の登校支援会議(埼玉県)


 


「望月が通いつめる場所」は望月が腱鞘炎で右手が使えず、今回はお休みにさせていただきます。

すみません。