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<むさしの学園 spring LIVE>

 

 4月25日(日)、「むさしの学園ミニライブ〜春〜」が行われました。今回のミニライブは、生徒たちからの要望で実現したもの。45名の子どもたちや親たちが参加し、歌に踊りに和太鼓に、盛りだくさんのプログラムとなりました。 
 オープニングは「サディスティックあっちゃんバンド・F」による「ハレ晴レユカイ」。今回は望月の教え子、及川さんがサポートメンバーとして加わり、さらに2名のダンサーも花を添えました。後を引き継いだCさんは、高校で軽音楽部に所属しているだけあってギターの演奏も堂に入ったもの。普段、ちょっぴり恥ずかしがり屋な彼女が、ギターを持つと周りをリードしステージの雰囲気を作っていました。
 ここで、会場に駆け付けた卒業生が急遽、飛び入り参加。ギター一本で華麗な演奏を披露し、会場からも手拍子が。何度かのライブを経験し、日々好きなギターと触れ合い、すっかりアーティスト、或いはギタリストといった存在感を身に纏った彼がそこに居ました。最後には、しっかりライブの告知をしてステージを降りる彼。こうして、それぞれの成長を見られるのは本当に嬉しいことです。
 ライブの最後には、アンコールでもう一度「ハレ晴レユカイ」の演奏。見ていた子どもたちも踊りに加わります。まるで練習していたかのようなキレのあるダンスでフォーメーションも完璧。拍手喝采の中、ミニライブ・第一部が終了となりました。 
 第二部では、前回の『クリスマスライブ』に引き続き、坂戸から誠太鼓の皆さんが駆けつけてくださいました。今回は、天井に届きそうなほどの大太鼓が加わり、前回にも増して勇壮な演奏をみることができました。この春、学園を卒業したYくんが大太鼓を叩く姿はとても凛々しく、掌のテーピングは、この日のために練習を重ねてきたことを物語っていました。
 この日は5月から学園に迎える実習生さんたちが、早稲田大学大学院よりイベントの様子を見に来ていました。子どもたちも、待ちに待っていた実習生さんたちです。最初は恐る恐る話しかけていた子どもも、イベントが終わり学園に戻るころにはすっかり打ち解け、お喋りに花を咲かせていました。これから半年間、楽しい時間を共に過ごし創っていく新たな仲間を迎えたことも、この日の喜びの一つでした。
 今回のミニライブは、歌うだけではなく、振付けのある楽曲やギターのソロパフォーマンスなど、目でも楽しめるライブとなりました。時間の無い中、ギター、キーボード、振付けと、子どもたち同士が誘いあって練習をしたり教え合ったりした成果と言えるでしょう。スタッフの目から見ると、ミニライブ当日がとても楽しかったのは勿論ですが、当日同等に、もしかしたらそれ以上に、目標に向けて子どもたちが重ねてきた時間、一緒に関わり過ごせたことが嬉しく、そして楽しかったと感じています。目標を持ち、それに向かって時間を過ごしていくという経験が、ライブイベントにおける一番の醍醐味と言っても過言ではないように思います。
 目的のある日々は、人間に「張り」を与えます。子どもたち自身の目標となり、そこに向かってプロセスを踏んでいけるきっかけとなる場を様々な形で実現することが、私たちの役目だと感じています。そしてさらに、見守り育む役目を、自分たちの目標とすることで、私たち自身の日々も彩られていくのでしょう。


 

 


<むさしの学園・スポーツ活動記録>

 

 連休明けからすっかり暖かくなり、真夏の前のスポーツ日和が続く今日この頃。5月は、むさしの学園でも、若者サロンでも、様々なスポーツ活動を行いました。これからの季節、暑さや日差し対策をしっかりして、体を動かす機会を増やしていきたいものです。
・卓球をしよう!
 5月11日(火)、子どもたちの企画で、市民体育館に卓球をしに行ってきました。
 「卓球に行こう!」と提案したYくんと学園スタッフが話し合い、卓球経験者が多く来ており、実習生さんもいる火曜日に計画を決行することになりました。当日は生憎の雨でしたが、7名の一行はてくてく歩いて、隣駅の市民会館まで出かけて行きました。
 参加した実習生さんは、「体を動かしながらの関わりから、新たな面が見えた」と、子どもたちの運動神経の良さに驚いていたようです。ひと駅分の往復は、女の子の足には遠かったようで、Tさんは「遠い!疲れたぁ〜」を連発していましたが、外の風に当たり、体を解す機会も、大切にしていきたいと、改めて感じた一日でした。     
・第七回フットサル大会
5月22日(土)、若者サロンでは第七回・フットサル大会を行いました。毎回20名以上の参加者が集まるフットサル。今回も、22名が参加しました。
 前回までは厳しかった寒さも和らぎ、夜のグラウンドには涼しい風が心地よく吹く季節になりました。男の子の参加が多いフットサルですが、プレイ&チアガールをしてくれる女の子の参加、大募集中です!



<親サロン議事録〜4月〜>

 

 4月の親サロンには、14名が参加。前半の議題は、「ひと塾」事業の報告、今年度の活動計画、そして5月に開催した『子育てに悩む親たちの集い』に関わる話し合いが行われました。
 「ひと塾」の活動報告では、四季折々のお祭り行事に加え、テニスクラブやフットサル等スポーツ行事が定期的に行われるようになった事、また、月々の「親サロン」だけでなく、「子育てに悩む親たちの集い」も、10月・2月と、年間二回実施できた事等を、昨年度の成果として発表。活動報告に見る実績から、「ひと塾」の活動が、広く活発になりつつある事が改めて見えてきたのでした。
 新年度がスタートしたばかりの4月18日に開かれた今回の親サロン。新たな場所へと踏み出した子どもたちの近況と、親たちの近況が話題の中心となりました。この春進学した子どもたちは、「学校」という場で、新たな自分を模索しています。それは、決して平坦な道
ではないでしょう。
 「学校」は、一つの「組織」。社会や国や学校といった「組織」は、法律・規則によって成り立っています。そこに属する者が規則を守ることによって、組織は一つの纏まりとして成立し、また、その存続のために組織は、所属する者に規則を守る義務を課します。
 規則によって、白黒が機械的に判断されていくのが「組織」という場所。それは、先述した「組織」の成り立ち上、当然の事です。しかしまた、それはあくまで「組織」の常識であって、個人の想いとは別の次元のルールです。従って、「組織」のルールと個人の「想い」や「生き方」との間には、必然的にズレが生じるものと言えるでしょう。社会に生きる以上、全ての者が、己と外界との間のズレを内包して生きているのです。
 それなのに、私たちの殆どが、まるでズレなど無いかのように日々を過ごしている不思議さ。私たちは、「折り合い」と「誤魔化し」とを身につけて、「オトナ」になってゆくのかも知れません。けれど大人になる事が、微妙なズレを誤魔化して、気付かぬふりで過ごしてゆける器用さを身に付けるだけの事ならば、これ程虚しいことはありません。
 大多数が、「自分」を誤魔化しながら組織、社会の中で生きています。そうすることが「当たり前」かのように、日常は過ぎていきます。しかしそれは、組織の側の「当たり前」であって、本来個人の側の「当たり前」ではないのです。「社会」と「自分」との間に在る違和感を上手に誤魔化せない事は、「悪」なのでしょうか?それはむしろ、本来「当たり前」のことなのではないでしょうか?それなのに、自分の感覚に嘘のつけないことが、まるで「非常識」みたいに教師や親や友だちからも見られ、そのうち自分自身でも、「自分はおかしいんじゃないか」と思えてくる。
 ――「組織」の側から見れば、「個人」はみんなおかしな存在です。けれどその、時に社会の常識から外れもする個人の感覚こそが、「自分である」という事なのではないでしょうか「自分」を抱き続ける事は、時に苦しい事だけれど、だからこそ、ズレを感じてしまう宿命を持った者たちの感覚を、周囲が否定するのではなく、自ら消してしまうのでもなく、「社会」の常識と上手に折り合う「しなやかさ」と「したたかさ」を身につける事。…それはまた、私自身の
願いでもあるのです。(柴田)




<第三回・子育てに悩む親たちの集い

〜義務教育が終了!その後は…?>

 

 5月16日(日)、「ひと塾」とむさしの学園は、第三回目となる『子育てに悩む親たちの集い』を開催しました。
 この日の参加者は約40名。第一回(H21年10月4日開催)、第二回(H22年2月7日)と、これまで行ってきた『子育てに悩む親たちの集い』に参加された経験を持つ方が、今回の参加者の多くを占めていました。少人数であったことや、既に『子育てに悩む親たちの集い』を知る人たちが多かったことが起因してか、当日は、第一回・第二回の『集い』よりも親密な雰囲気が会場を包んでいました。
 今回の副題は、「義務教育が終了!その後は…?」。第一回・第二回と『子育てに悩む親たちの集い』を開催して来て、目立って多かったのは高校生以上の子を持つ親の参加でした子どもと親を取り巻く課題は年を追うごとに深刻になるにも拘らず、相談機関や受け皿は少なく、さらに高校中退となると学校にも行政にも頼ることができない現状が在ります。高校生以上の子どもをどう援助するか、彼らの居場所をどう創っていくか、そして子どもだけでなく、自分たち親はどこに向かえばよいのか…。今回の『子育てに悩む親たちの集い』は、こうした課題を中心に据え、当事者としての親が創る、親のための、親同士の語り合いの場を提供することを目的として行われました。
 第一部では、ひと塾会員の面々がパネラーとなり、各々の経験を語りました。思春期以降の子どもに対し、親が直接かかわる事には限界があり、子どもには、家庭の外に居場所が必要になります。しかし高校卒業後、或いは中退後、子どもが安心して過ごせる場所を見つけることは益々難しくなっていきます。今現在、高校を休んでいる、中退した、なんとか卒業したがその後は…大検、進学、そして就職といった課題を抱えながらの「今」をどう過ごしているか、親の視点からの率直な体験が語られました。第二部は、小グループに分かれ、それぞれが語り合いました。発達障害「キャラ」、小・中学生、高校生以上、と三つのグループに会場を分け、第二部がスタート。語り合いの中で、見えて来たのは、「親」という立場や役割に縛られ、子どもの気持ちを受け止められなくなってしまうことがあること。社会が求める「親」という役割を真面目に果たそうとする親ほど、「ひと」対「ひと」として子どもの話を聞くことができなくなってしまう場合もあること。「親だから」「子どもだから」という役割や形に縛られ、身動きがとれなくなってしまう…。親と子だけの閉じた関係の中で超近眼になった目には、近くの事ばかりが鮮明に映り、そこに囚われ、大局的な視点が欠除してしまうのかも知れません。少しでも視野を広げ、目前の事象が全てではないと気付くだけで、楽になれるはず。楽になったその分が、「次」を考える余裕になる。『子育てに悩む親たちの集い』が、そんな循環のきっかけになれるよう、今後も活動を続けて行こうと思うのでした。(柴田)




 

 

 


<むさしの学園・ちょっと早めの夏まつり

〜BBQ大会〜>

 

 5月30日(日)、毎年恒例となった『むさしの学園夏まつり〜BBQ大会〜』を開催しました。天気予報では雨マークが付いていたこの日、心配されていたお天気もなんとか持って、皆で初夏の一日を満喫することができました。
 先発隊として現地に向かった男の子たちが、テントの設営をよく手伝ったとのこと。火おこしや、ホイル焼きにする野菜の下準備は、後から合流した女の子たちも手伝って手際よく進みました。「お父さんの靴が燃えてる!」というハプニングもありましたが、子どもたちはお肉に野菜にどんどん出来上がる食材に大満足の様子。ホイル焼きの野菜には「色がキモイ〜!黒すぎ〜!」などと言いながらも、ぱくぱく。ホイル焼きの焼き芋は、大人気でした!
 高校生のYくんは、お父さんたちに交じって肉や野菜を焼いていきます。まるで焼鳥屋さんのお兄ちゃんみたいに、威勢良くテキパキとみんなのリクエストに応えてテーブルまでお肉を届けてくれます。食べる専門のスタッフたちと子どもたちは、ひな鳥みたいにピーピーぱくぱく、お喋りしながらお肉を頬張ります。顔を合わせる機会の少ない子どもたち同士も、お互いの趣味や普段どう過ごしているか、高校生活はどんなふうか…などなど、随分いろいろな話をしていたことには驚かされました。子ども同士の会話は、今までで一番盛り上がっていたのではないでしょうか。
 お腹がいっぱいになったところで、実習生さんたちによる「借り物競走大会」が始まりました。くじ引きでペアを決めて、競技開始!普段話したことのない女の子と男の子のペアも誕生し、どうなる事かと思いきや、皆それなりのチームワーク(?)でお題の借り物を次々とゲットしていきます。最後に、河原をあちらへこちらへと走り回った皆に、入賞商品と参加賞が授与されました。
 借り物競争の後も、河原近くの公園で、アスレチックやテニスをする子どもたち。この日は一日、外の空気を吸い、体を動かして過ごしていました。学園では、最近室内で過ごすことの多かった子どもたちも、この日は自然と体が動いていた様子。そのような姿を見られるのは、やはり嬉しいものです。

 毎年2回の恒例行事となったBBQ大会。回を増す毎にお父さん・お母さん方の手際はどんどん良くなっていきます。毎回の反省を親サロンで話し合い、次回に活かすというサイクルが、しっかり出来上がっている証拠だといえるでしょう。今回も例にもれず、父さん・お母さん方の手際のよさは過去最高だったように思います。
 今回は、テントの設営や後片付けを手伝う子ども、火のそばでお肉や野菜を焼く子どもなど、BBQ大会が始まった頃に比べると、子どもたちの活動範囲が随分広がってきたように感じます。また、一人ひとりの子どもたちが、自らどんどん活動していたことが、とて
も印象的でした。
 今度はお父さんお母さんたちにも、座ってゆっくり食事をしてもらいたいなと思います。BBQ大会を重ねていくうちに、新たな希望がどんどん出てきます。毎回バージョンアップし続けるお父さん・お母さんの手際の良さもさることながら、子どもたちの成長にも、注目していきたいものですね。





   


<むさしのアレ・コレ>

『ゆずり葉』  河合酔茗

 

子供たちよ       
これはゆずり葉の木です 
このゆずり葉は     
新しい葉が出来ると   
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです
            
こんなに厚い葉     
こんなに大きい葉でも  
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉に命をゆずって――

子供たちよ       
お前たちは何を欲しがらないでも          
すべてのものがお前たちにゆずられるのです    
太陽がめぐるかぎり   
ゆずられるものは絶えません

かがやける大都会も   
そっくりお前たちがゆずり受けるのです      
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ   
お前たちの手はまだ小さいけれど――

世のお父さん、お母さんたちは          
何一つ持ってゆかない  
みんなお前たちにゆずっていくために       
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています

今、お前たちは気が付かないけれど        
ひとりでにいのちは延びる
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に   
気が付いてきます

そうしたら子供たちよ  
もう一度ゆずり葉の木の下に立って        
ゆずり葉を見るときが来るでしょう


 上記の詩と絵は、埼玉県社会福祉協議会「ひまわり基金民間社会福祉団体等先駆的活動推進事業助成金」で作成した『ひと塾』のリーフレットに載せたものです。「ゆずり葉」のイラストは、学園生のNさんが描いてくれたもの。皆様のお手元にお届けしますので、ぜひ、ご覧ください。