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〜治療と介護の狭間で〜

 

 私の母(89歳)は右ひざが悪く、体重の過剰に多く、自力でトイレに行くことが非常に困難な毎日を送っていたが、6月初めについに自力で立つことが不可能になった。そのため不安が不安を呼び込むかのように、パニック状態になり、救急車で近くの病院に運ばれ、入院生活をすることになった。以来寝たきり状態で治療が行われた。体重を減らす、水分を減らす、右ひざのリハビリ等々が行われた。しかし、日増しに食事も細くなり顔から生気がなくなり、痴呆症に近い状態になり始めた。その時、私は「垂れ流しの排泄」を正常に戻すことの必要性を感じた。それは「治療」ではなく「介護」だと思った。私は「自宅介護」を医師に申し出、以来自宅に過ごしている。今ではポータブルトイレで自力排泄を行うようになり、食欲もしっかりとしてきた。
 以来、私はこれからの「介護のあり方」を勉強している。そこで知り合いのケアマネージャーに頼み、下記の文章を寄稿していただいた。(望月)

 

 

在宅介護を可能にするために

 

 特別養護老人ホームのスタッフの判断によれば利用者の約6割が在宅での介護が可能であり、介護が必要になった場合でも高齢者の約6割が在宅での生活を希望している、という報告がある。(参照:2015年の高齢者介護)。また、国も在宅介護の方向に舵を向けた施策を打ち出している。しかし、中期的・長期的な対策は数多く聞かれるが、現場の私たちにとって今、目の前にある現実をどうするかが大きな課題である。では被介護者が生活者の一員としての生活を目指した在宅介護を可能にするために「今」何が最も必要なのだろうか。
現場は厳しい状況だ。格差社会と言われているが、介護が必要な状況の方々の中にも格差がある。介護を十分に受けたくても受けられない現状がある。私が関わった事例だが、二人だけで生活している年寄り夫妻の奥さんの認知症が進み、排泄の方法が分からず失禁。介護者の夫は病気がちで、介護の知識もなく十分な介護ができない。畳は失禁のため腐ってしまい抜けている箇所もあった。経済的余裕が無く、ヘルパーなどのサービスを入れること自体が難しい。まずは、環境の整備を考えたがヘルパーでの大掃除は介護保険では認められていない。また、それ以外のサービスとなると金額が嵩んでしまう。どうしたら良いのか。ケアマネージャーの役割は重要になってくる。
 考えた末、現状を見てしまった関係者でボランティアとして大掃除をし、少しでも生活しやすいように環境整備を行った。その後は、通所系のサービスでは介護保険の一割負担と食費などの実費分などがかかるため訪問系のサービスを考え導入をした。週2回 1時間のヘルパーを週2回派遣して何とか切り抜けた。
 しかし、金銭的にある程度余裕があっても自宅介護には大きな課題が山積みだ。八十八歳の女性の方が体調不良となり入院したケース。病院では、まず治療が最優先となる。また、患者も体調が悪くて入院したのだから身体を動かすことが難しい。そのため、排泄はトイレに行くことができずオムツ内の排泄となる。また、寝食分離が出来ないため生活のメリハリが無くなり、筋力が低下し動けなくなってしまう可能性が高い。次に認知症に似た症状が出てきた。入院1ヶ月が過ぎた頃、家族から電話が入った。「生活の意欲がなくなってしまった。生活力をつければ元気になるのでは!」家族からこの様な事を言われるのは、めったに無いことだった。在宅介護に踏み切ったがやはり現実は厳しく、病院と同じでオムツへの排泄が続き、食欲、生活意欲も落ちた。好きなテレビを見る気力もない。どうしたら良いのか。ケアマネージャーの役割は重要になってくる。
 私は、情報共有と今後の方針を決めるために家族・介護事業所・看護士と話し合いを持った。「年寄り言えども女性。特に彼女は女性との意識が強い。だから羞恥心が強い。現在の排泄状況では生きる意欲がなくなるはず。きれいな排泄をすることで、生活意欲も出てくるはず。きれいな排泄をすれば食欲も出てくるはず」という家族の言葉に共鳴し、綺麗な排泄ができるように可能な手段を皆で考え、段階的な目標を掲げることにした。先ずは尿を自力で出す訓練をして、バルーンを抜き、次に、ポータブルトイレに『座ることができるようにする訓練。次にヘルパーさんの支えられながら排便をする訓練。おむつにしない喜びを味合わせること。ヘルパーさんが来るまで我慢させる訓練をする」。自力でトイレに行けなくなってしまったため、1日3回のヘルパー派遣で何とか排泄介助を行うこととした。ベッド脇に置いたポータブルトイレに自力で行けるように目標を設定し自分の部屋で、自分の使い慣れたベッドで生活していけるようした。その事が自然とリハビリとなり、本人に意欲を与えていった。家族は言う「きれいな排泄をすることで、食欲も出てくるし意欲も出てくる」。その通りとなった。今では自力で全て排泄可能になり、生活者の顔になった。

 被介護者の「ひととしての」モチベーションを維持し、かつ高めることがこの事例から私たちは、重要だということを学んだ。
 私たちも仕事に追われ、時として「世話することが介護」と考えてしまいがちになるからだ。「被介護者を進化させることも介護の大きな役目と言える。しかし、同時にヘルパーの調整が難しかった現状もあった。現在の介護の現場は、どこも人材不足。また、訪問介護に限っては、登録ヘルパーに頼っている事が多く、夕方や土日などの派遣については行ってくれるヘルパーさんが少ない。このケースの場合は、2事業所で毎日3回のヘルパー派遣が可能となった。1人での排泄や食事が難しい人にとって、介護が行き届かない場合も出てきてしまう。その様なことが無いようにケアマネージャーとしてプランを立てていくのだが、やはり限界がある。介護事業所の人材不足や、介護報酬の引き下げで事業所も少なくなり、利用者が利用者自身で選ぶサービスという介護保険の目的も意味のないものとなっている。
 介護は被介護者を世話するだけでなく、生活者として生き生きさせる重要な役割を持っている。そのためには、家族を含めた関係者の間の情報の共有が大事であり、更には色々な機関を繋げるコーディネーター役の確保・介護の人材の確保・人材の育成等々が急務な課題だと言える。

 


 

パソコン!!ゲット♪

 

 11月19日(水)、大宮ソニックシティにて県内10団体のNPOへパソコンの贈呈式が行われました。「ネットワークSAITAMA21運動」(連合埼玉)の一環である「NPO応援・物品助成プログラム」に応募・選考されたNPO団体にパソコンが贈られた。むさしの学園もこれに応募、見事ノート型パソコンをゲット!日頃生徒たちが起動の遅いパソコンにイライラしながらも、ホームページやサイトを一緒に楽しむ姿を見てきた私たちにとって、新品のパソコンは嬉しい援助でした。今後もこれをツールとして、生徒たち相互のコミュニケーションがより活発になるよう役立てて行きたいと思います。新しいパソコンは1階13号室に今までのパソコンと並べて置く予定。(たまには事務仕事に使わせてね♪)。

 

感謝の言葉

 

 「ネットワークSAITAMA21運動」(連合埼玉)様のNPOに対するご支援に心より感謝します。私たちも「ネットワークSAITAMA21運動」(連合埼玉)様のご期待に背くことのないように心こめて活動していく所存です。今後ともNPO活動に対するご支援をよろしくお願い致します。(A・S)

 


初めての県教委

 

 県教委による「第二回登校支援会議」が11月13日(木)、埼玉県庁近くにある「あけぼのビル502会議室」にて行われ、学園「副代表」として柴田も随行。

 当日の出席者は下記の通りです。
 東宏行埼玉県立大学准教授・開善塾教育相談研究所・NPO法人フリースクールむさしの学園・NPO法人越谷らるご・鴻巣親の会・上尾親の会・小学校校長(川口市)・教育委員会(上尾、嵐山、熊谷、春日部)・埼玉県教育局生徒指導室

 会議では、児童生徒が欠席した一日目に電話連絡・三日目には家庭訪問を義務付ける(!)など各市町村教委の取り組みが発表されたあと行政・学校・民間(フリースクールや親の会)の「連携」を巡って討議が行われました。望月からは「不登校問題を考えるとき、発達障害キャラを持つ児童生徒の問題を見落としてはいないか、また子どもだけでなくその親たちが独りで課題を抱えて苦しんでいる現実とそのような親たちへの支援も視野に入れるべき」との提言がなされた。ことばだけの「連携」ではないネットワークづくりへ向けて、またそれが他の誰でもなく子どもたちのためのものとなるよう、今後とも話し合いが続けられることとなりました。来年は忙しくなりそうです。
 公の席に初めて同行させて頂き、「むさしの学園」の仕事の大きさを改めて感じた一日でした。(A・S)

 


親サロンより

 

 16日に行われた「親サロン」。今回も代表を中心として皆の想いや意見の交換が行われました。
 人は皆、各々自分なりの「定規」を持っている。子どもの行動や状態についてどう感じるか、それは親の「定規」に照らした一つの評価であり、「定規」が変われば評価も変わるもの。自分の感情や下す評価は全て「自分の定規」であることを心に留めておく必要がある。…自分なりの「定規」を持つことは人が生きる上で大切なことのひとつではないでしょうか。そして「これは自分の定規」という意識をもてるか否かもまた、それと同じくらい大切なことなのだと感じます。
 誰にでも「評価されたい」という想いはあります。それは「自分で自分を」「他人に自分を」「社会から自分を」等々考えられますが、この「自己評価」と「他者からの評価」「社会からの評価」は常に一致するとは限りません。
 「親の定規」からすると到底満足のいくものではなくても、「子どもの定規」では何目盛りもの大きな一歩である場合もあるのです。そんなとき、「親の定規」でペチンと一蹴されたら…子どもの自尊心や満足感は一瞬で吹き飛んでしまうでしょう。私の子ども時代、否今だって、もっと言えば私の母親でさえ、自分の親の「定規」に怒ったり虚しくなったりの日々は続いています。
 「親の定規」は経験や知識を蓄えた豊かなものかも知れません。やっぱり「正しい」のかもしれません。けれど「子どもの定規」が感知したことも間違いではない、本人が意味付けた大切な事実なのです。「親の定規」で達観する前に、子どもなりの定規の存在を認め、そこから見える景色を眺めてみる――そんな余裕が「子どもの定規」を豊かにするのではないでしょうか。子どものしあわせを願うこころが、未熟に見える本人の「定規」を取り上げ自分の「定規」を貸そうとするかもしれません。けれど押し付けられた借り物の「定規」を使い続けるのは、とても息苦しいことです。危なっかしい歩みを見守る親の我慢が、子ども自身の経験と知恵を養うと信じ、ここではなく遥か彼方にあるゴールを、共に見つめていたいと感じています。(A・S)


望月が通いつめる場所
第1回(食べ物編)
ラーメン一本気


 今月号から望月が通いつめている場所等々を掲載します。それは食べ物だったり、ショップだったり、お医者さんだったり、人だったり、公園だったり、畠の道端だったり、です。私の知らない最高な場所はあるとは思いますが、望月のキャパのお金・時間・行動エリアでのことですので、その点はお許し下さい。また望月の独断ですので、例えば食べ物関係では、美味いがお店の雰囲気がキライ!というのは嫌です。安いのに美味しいは好きです。美味しいが高いは嫌です。
 とにかく望月の身勝手に掲載していきます。対象品目は問わず一月にひとつご紹介していきます。とりあえずは、食べ物関係で勝負していくつもりですが、突然方向が変わるかもしれません。望月はいい加減さが持ち味なのでお許し下さい。

これぞ望月が求めていた<醤油ラーメン>:「一本気」

 <実を言うと、このお店は最初に掲載するのがよいのか、最後に掲載するのがよいのかと悩みましたが、やはりトップに飾る方がよいと判断しました>。

 ラーメン・蕎麦・うどん。美味いと言われたら可能な限り食べに行くのが望月スタイル。蕎麦・うどんについて裏切られたことは余りありませんが、ラーメンについて多々あります。それだけラーメンは好みが激しい食べ物だと言えるのかも知れません。

 「一本気」は塩ラーメンが評判のお店です。テレビや雑誌でも評価されています。確かに塩ラーメンは美味しいのですが、望月は醤油ラーメンを食べる回数が多いです。というのも醤油ラーメンでスープを飲みきれるお店はここ以外ないからです。有名チェーン店や他店によくある、化学調味料による口に残るあの!いやらしい味がないからです。ここのラーメンスープには一切化学調味料は使用されていないはずです。
 それ以上に素晴らしい味は「オーナーの生真面目にラーメンを作る姿」です。ラーメンの美味しさ以上の美味しさです。従って、絶対にチェーン化できないラーメン店です。
 望月は学習塾・フリースクールを経営していますが、チェーン化できない空間を求めて仕事をしています。ここしかない仕事内容を提供することに徹しています。きっと望月の生き方と共鳴できる素材がオーナーの心の中に埋蔵しているのではないでしょうか。

 

 

主な関連サイト

・食べログ

・ラーメンデータベース

・ぐるなび